私の中にはいつか検証したいと思っている仮説がある。有能な人はあまり喋らない、というものだ。逆に言えば喋る人は無能だということに、単純に言えば、なる(無能な人は喋ることにはならないけれど)。一方で、あまり喋らない人は「感じが悪い」と見做されがちだ。仮にこれが正しいなら、有能な人は感じが悪い、となる。当然論理的な事実ではない。有能な人でも感じのいい人はいくらでもいる。でもこれはひょっとしたら、蓋然的には真なのではないか、つまり「女性は男性に比べて背が低い」程度の話としては成り立つのではないかと思ったりするわけだ。
今かかっている二人の医者がいる。一方は多弁で、一方は寡言である。有能さについては、まだ証左があるというほど付き合いは長くない。こんなことで統計を取っている人があるとも思えない。自分の中だけで取ってみようかとも思うが、そもそも主観性が強すぎる。仮に上の仮説が正しいとして、どちらを好むのか。そんなことを自問したりする。それは葛藤に近い。喋り過ぎを警戒する自分と説明不足を難じる自分が闘っているのだ。
話が飛ぶようではあるが、これはAIエージェントの信頼性という比較的深刻な話と多少なりともつながっている。ChatGPTのような対話型のものではなく、実際に「黙々と」任務を遂行するAIの話だ。たとえば医療ロボット。人間の監視のもとで行う「支援」型ながら、泌尿器科の内視鏡手術などでは急速に普及が進んでいると聞く。
そこで、寡黙なロボットと、多弁な人間の外科医どちらを信用するかという問題が生じる。多弁とか饒舌というのは誹謗するときの言葉だから、能弁でもいいし、「感じがいい」が当てはまるときもあるだろう。より正確に言うとここで想定しているのは「色々説明してくれる」医者である。通常人は説明のない医者より懇切に説明してくれる医者を好むけれど、その説明が正しいとは限らない。ロボットは正確に手術を進めるけれど、その過程について話してはくれない。これは軽句ではない。ここには意外に知られていない深い事実がある。AIはなぜその方法がいいのかどうか説明できないという事実だ。これはロボットのみならず、人にも説明できないという意味である。ChatGPTなどは色々説明してくれるけれど、騙されてはいけない。遂行型AIのベースになっているアルゴリズムはなぜうまく行くのか、一般に説明ができないのだ。
実際あるAI研究者はこう聞いた。「懇切丁寧に説明してくれる成功率8割程度の人間の医者と、成功率が100%に近いロボット、どちらを選びますか」。これはトリッククエスチョンではある。トリックであるというのは、人間の選択はややこしいということだ。これは先述の「葛藤」に緊密につながっている。私の正直な答えは、好き嫌いで言うと前者だけれど、いざとなったら後者、というものだ。
もちろんこれは「有能な医者は感じが悪い」説に答えを与えるものではないし、AIの話から結論が導けるものでも勿論ない。ただ、考える価値はあるような気がするのだ。医者はともあれ、他の事例、例えば技術者、身近な例では車の修理工、などはどうか。男は黙ってなどと言う、少なくとも言っていた風土のある日本では話は変わるのではないか。こんなブログを書いていて言うのも何だが私にも多くを語らないを重んじる美徳感がある。医者であれ誰であれ、有能さと多弁さの相関を測る統計を取ってみても悪くない、と本気で思う。どちらもどう数値で測るかが大問題ではあるけれど。